越後屋の『学び合い』帳

東京の高校国語科教員。『学び合い』と授業とクラスと。

可視化も自分たちで

担当する高1の、あるクラスの出来事です。

授業の冒頭、グループ音読と個人の黙読が終わったところで*1、クラス委員が教壇に上がりました。僕は教室後方の黒板の掲示をボンヤリと眺めていたので、クラス委員の声が急に聴こえてきて、驚いて振り向きました。

「みんな、黙読終わりましたか?
昨日も言った通り*2、このままじゃいつも同じ人とばかり話していて、広がっていかないんで、まだプリントの1枚目をやってる人は教室のこっち側、2枚目の人はこっち側に集まってください。後でクラスの意見としてまとめます。それでいいですか?」

「いいでーす」という返事*3があって、学習活動が始まりました。それまでには見られない組み合わせのペア・グループが、たくさん生まれました。つまり、自分たちで、クラスの状況を可視化していたわけです。
せっかくの試行錯誤の機会なので、僕は「余計なことだけは言うまい」と、ひたすら見ていました。

授業の終盤、今度は別の生徒が前に出てきて、意見を集約し、黒板に書き出していきました。途中で「あ、時間がない!」と慌てていたのがご愛敬で*4、その日にクラスのあちこちで発生した学びをまとめてくれました。
ここでも、僕は水を差さないことに徹しました。

授業を締めるにあたり、僕はうまく言葉を選ぶことができませんでした。上から褒めるようなことは言いたくなかったので、何と言おうか迷ってしまうのです。
結局、「立派」という言葉だけが浮かんできたので、馬鹿の一つ覚えのように2回か3回それを繰り返して終わりました*5

10年近く『学び合い』にもとづいて授業をやってきて、こういう場面に立ち会ったのは初めてです。「すごいものを見た」というのは、確かにその通りです。
しかし、「感動」はしていません。生徒を心から尊敬しますが、感動とは違う感慨です。
「よく育ったなぁ」とも思いますが、まだまだ途中なので…。彼らが今後、もっと力を伸ばしていくことはわかっています。楽しみです。

*1:授業は①グループで指定範囲を音読し、②各自で3分ほど黙読し、③それぞれのペースで課題取り組み、④最後に振り返りを書くという構成になっています。

*2:後で担任の先生に聞いたところ、前日のSHRで「国語の授業を改善しよう」と呼びかけ、クラスの合意を形成していたのだそうです。担任の先生は「私は何にもしてないんですけど」とおっしゃっていました。

*3:照れ隠しだと思われます。

*4:時間管理の意識を忘れていないのが嬉しいですね。

*5:3学期に教材として扱った文章に、鷲田清一フォロワーシップについて述べたものがあったので、それを引き合いに出したりもしました