越後屋の『学び合い』帳

東京の高校国語科教員。『学び合い』と授業とクラスと。

頑張ることと苦労すること

最近、あまり頑張っていないような気がしています。もちろん新たな試みは常にしていますし、生徒にとって価値あることをやろうとしていますが、授業時間中に「頑張る」のは生徒の仕事だという理解が腑に落ちてからは、本当に頑張らなくなりました。従来の価値観からすると反語的に聞こえるでしょうが。
誤解を恐れずにいえば、授業中はもっぱら提出課題の評価を淡々と進めています。空き時間を他のことに充てられるので、これは本当にありがたい。(ああ、こんなこと書くと「けしからん」と思われるでしょうね。)

先日の「モデル授業」【追補】“モデル”授業 - 越後屋の『学び合い』帳の際も、授業中はほとんど何もしていません。もちろん、集団全体が「安心して」「緩やかに」「学びに対して肯定的に」いられるように、タイミングを見計らってフィードバックをしていますが、私としては頑張っているつもりはありません。生徒役で参加したS先生には「一生懸命に場を作っていたね」とフィードバックしていただきました。客観的に見れば、確かにそうなのです。一方、オブザーバーだったI先生によると、私は「声のトーンで場の空気を操る」のだそうですが、併せて「感覚的にやってる」とも指摘されました(実際その通り)。やはり私としては、頑張ってる感覚はありません。

どうも私は「頑張ること」と「苦労すること」を混同していたようです。そういう働き方は、あんまり好ましくありませんね。
実は、もっと淡々とした日常を送りたいのです。