越後屋の『学び合い』帳

東京の高校国語科教員。『学び合い』と授業とクラスと。

相互採点

GTOさんの投稿を読み、相互採点について補足しておこうと思いました。
実践者からの気づき - GTOのブログ 『学び合い』で楽しい学校生活

評価基準公開の原則

『学び合い』に基づく授業では、学習活動をほとんど任せるわけですから、ゴールを明確に示す必要があります。
「JR東京駅で待ち合わせをする」という場面を考えてみましょう。JR東京駅には地上階だけでも改札がたくさんあります。

ただ「東京駅で待ち合わせね」と約束するだけでは、どこに行けばいいのかわかりません。平日休日や時間帯を問わず人が集まる場所ですから、曖昧な約束をすると右往左往することになります。
また、時間を決めていなかったので地下のグランスタでお茶などをしていたら、待ち合わせの際に「遅いよ!」と言われて困惑することもあるかもしれません。相手が自分と同じ感覚を持っているわけではありませんから、「何時に、どこで」という約束は明確にしておくとスムーズです。
学校では、教員は「しっかりと」「きちんと」「ちゃんと」などという感覚語を用いてしまいますが、こういう曖昧な表現も、無用な軋轢を生むもとだと思います。

他者の答案を採点できるということ

先の投稿立候補 - 越後屋の『学び合い』帳では、生徒の相互採点について触れました。
私は、相互採点ができることは重要だと思っています。私たち教員は当然のように生徒の答案を採点しますが、他者の答案の正否を判断することは、決して簡単なことではありません。逆にいえば、それができるということは、(当該設問を採点するという限定的な条件下において)一定の学力を有していると言うことができます。
だから、相互採点の場面では必ず

他の人の答案を採点してください。

と言います。
「自分の答案を採点してはならない」とか「他の人に採点してもらえ」という言い方では、生徒が採点を誤魔化すのを禁じようとする性悪説的な先入観が感じられます。もちろん、結果的にそれを防ぐことにもなることも併せて、

他者の答案を採点できることに意味があるよ。

と言っています。だから、私が採点のポイントを解説する場面(いわゆる「答え合わせ」)でも、

今の説明で、目の前の答案がマルかバツか判断できない人はいますか?

という言い方になります。

こういう言い方の一つひとつに拘ることを、教員のメタ認知と言うのだと思います。
このような言葉がけの蓄積が、学ぶことに対する意識や価値観を構築していきます。