越後屋の『学び合い』帳

東京の高校国語科教員。『学び合い』と授業とクラスと。

『学び合い』信者

最近、Facebookで「『学び合い』信者」という言葉を目にしました。それに対して、ある方が「信者と支持者は違うんだよなぁ」と言っていました。

まずはここでいう「信者」という言葉を、「信仰をもっている人」という意味から区別しておきましょう。当たり前ですけど。
その上で、ここでは、自分で判断している人を「支持者」、何らかの判断停止に陥っている人を「信者」としておきましょう。

『学び合い』は、確かに「信者」のイメージと結びつきやすいと思います。提案していることが「個々のテクニック」ではなく、〈学校観〉と〈子ども観〉だからです。個別の現場では、判断停止どころか判断の連続なのですが、その判断の基準となる二つの観はブレません。
それを自分の言葉で語れるならいいのですが、「『学び合い』の学校観では〜」などと言ってしまうと、聞いている人(投稿を読む人)は「またそれか」と感じてしまうでしょう。
シンプルで汎用性の高い判断基準を持っていることは、いいことなんですけどね。

「信者」と言われたら、「警鐘を鳴らしてくれている」くらいに考えておくのがいいかもしれません。

最後に、『学び合い』を知ってしまった、悩んだ、でもやめられない…という過程を考えると、つい連想してしまう歌詞があります。

覚めない夢

覚めない夢

こちらから、歌詞をご確認ください。
覚めない夢 井上陽水 歌詞情報 - 歌ネットモバイル