越後屋の『学び合い』帳

東京の高校国語科教員。『学び合い』と授業とクラスと。

昔の話

「教師教育を考える会」のメルマガに寄稿させていただきました。
こちらにも転載します。

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はじめに

私は20代の頃、私立学校の時間講師をはじめとして、いくつかの仕事を掛け持ちしながらフラフラと過ごしていました。今回、私自身の「(教員としての)学びの過程」を等身大に振り返ってみよという題材といただいたことで、つらつらと当時のことを思い返してみました。我が身を顧みるに、自分自身がレアケースに思えてなりません。そのままでは他の方のお役に立たないような特殊な事例ではありますが、少しだけお付き合いください。

客席からみた自分

私は20代の大半を、いわゆる貧乏劇団員として過ごしていました。早速、レアケース全開です。大学は私大の教育学部で、基本的には教員になるつもりでいました。教職課程の単位も取りましたし、もちろん教育実習にも行きました。
その一方、高校時代からの芝居好きが高じて、友人に誘われるままに劇団活動を始めました。免許状をもらって卒業する時には、正規採用されるつもりは一切なく、何の疑問も抱かずに演劇を続けることを選びました。ただし、教員になりたい気持ちもあったので(ここが私のずるいところです)、私学の時間講師をいくつか掛け持ちして、いくばくかのお給金をいただいていたわけです。
結局は劇団を辞めて教員になった私ですから、ここで偉そうに演劇について語ることは非常に恥ずかしいのですが、恥を忍んで「役者としての経験」を書きます。
一本の公演を打つためには、一定の稽古期間があります。稽古を通して、役者は演出家の演出を受けることになります。演劇に馴染みのない方にお断りしておくと、「演出」は「演技指導」ではありません。役者の演技だけでなく、舞台美術や音響、照明、衣装などのさまざまな要素のすべてを、ひとつの世界観のもとにまとめていくのが「演出」です。
オーケストラでいえば、さまざまな楽器の音を一つの楽曲にまとめ上げていく指揮者のようなものです。
さて、セリフの有無にかかわらず、役者は舞台上で何らかのアクションをします(無言で立っているだけだとしても、「ただ立っているというアクションをしている」と考えてください)。演出家はそれを見て「ダメ出し」をします。そのアクションが、その場で描きたいことを的確に伝えているか、チェックするわけです。役者の提案したアクションが演出家に絶賛され採用される時もありますが、もちろん否定されることもあります。
たとえば、役者は役の抱えている寂しさを表現しているつもりなのに、演出家が見たら「全然寂しそうに見えない」と言われてしまうのです。
したがって、役者は「自分が客席からどう見えているか」を常に考えざるを得ないのです。「役」として激情のただなかにいる(演技をしている)時も、「役者」として「いま客席からどう見えているかな」と冷静に考える自分がいます。これは特別なことではなく、教員でいえば「チョークで黒板に字が書ける」というくらい、当たり前のことなのです。
この意識は間違いなく、私の教員としての土台を形成しています。最近は「メタ認知」という言葉がよく聞かれるようになりましたが、私が生徒の前に立つ際に「どう見えているかな」という意識を持てるのは(そして感覚的にそれがわかるのは)、かつて演出家に稽古を見てもらい、ダメを出してもらった経験があるからです。

アクションの相互作用

当時の経験から得たものは、まだあります。舞台上で相手役とやりとりをしていると、相手のアクションによって自分の感情が動かされるのを感じることがあります。たとえば喧嘩のシーンで、相手役が私を上手に挑発してくるので、私も自然にヒートアップできる、ということがあります。
一言でいえば「芝居がやりやすい」ということです。
反対のこともあります。台本上では、相手が私に憎まれ口をたたいて、私がそれに苛立ちを募らせていって爆発する…という流れになっているのに、相手のセリフ回しがまったく憎らしくないために、こちらは爆発したくてもしようがない、というケースです。こういう相手を「絡みにくい」と評することは、テレビなどでお聞きになったことがあるかもしれません。
セリフ回しだけではありません。相手との立ち位置(間合い)や角度、目を合わせるか逸らすかという些細な動作も、相手に影響を与えています。
私は、生徒指導をしている際に、このことをよく思い出すのです。教員のアクションは目の前の生徒に影響を与えています。コワモテの教員の前で生徒が萎縮してしまう、というケースなら想像しやすいと思いますが、どんな場合でも影響を与えていると考えた方が無難だと思います。たとえば、「気になる」生徒と面談する際に、教員が安心したいあまりについ聞きすぎてしまって、生徒は話せなくなってしまう、という場面は容易に想像できるでしょう。生徒指導の際に、教員が「落とし所」に露骨に誘導してしまって、生徒が素直になれなくなってしまう、という場面はどうでしょうか。教員のアクションは、無視することのできない要素です。
 もちろん、プロの俳優ではない私たちは、自分のアクションを思いのままに操ることはできません。しかし、そのことを意識し、覚悟しておくことはできると思うのです。自分のアクションが影響を与えることを前提にするだけで、おのずと意識的になれるものです。「どういう影響を与えるかな」と考えることが大切です。

広げる視野、つなげる意識

以上、10年前の演劇経験を思い出しながら書きました。「そんな経験をしているお前は例外だ」と思われることでしょう。
しかし、教員以外の場面で得てきたことは、どんな方にもあると思います。それらを、ある目的意識のもとに整理し直してみると、きっと多くの気づきが得られるに違いありません。視野を広く持ち、意識的につなげると、自分の意外な強みが見つけられるはずです。