越後屋の『学び合い』帳

東京の高校国語科教員。『学び合い』と授業とクラスと。

行為の指導

「○○を学校に持ってきてはいけない」
「授業中は机の上に出してはいけない」
「鞄の中に入れておかなければならない」
こういうルールを課すことに、教員は慣れています。ほとんど疑問を持つことはありません。
なぜかといえば、指導が楽だからです。

「学校に持ってきていた」
「机の上に出した」
「鞄の外に出していた」
これらは誰の目にも明らかな事実なので、咎められても生徒は反論できません(反抗はするかもしれませんが)。

そうすると、
何は持ってきてよいか、あれはどうか、これもダメか、
という方向に議論が流れます。
指導方針という名目で、不要物選定会議が開かれるわけです。何が必要で、何が不要かは、当事者ではなく学校が決めるのです。

このような「モノの指導」は、教員にも生徒にも、思考停止をもたらします。

しかし、学校がやるべきは「行為の指導」だと思います。
モノの使い方が望ましくなければ、モノを禁止するのではなく、どう使うかを考えるしかありません。できれば、生徒と一緒に。

生徒に反論されることも、あるかもしれません。
「普通はこうでしょ!」
「なんでですか」「普通って何ですか」
というように。
こうなると、指導の理由や目的を語れなくてはなりません。教員も「試される」ことになるのです。
それが嫌だから、モノの指導に流れるわけですが。