越後屋の『学び合い』帳

東京の高校国語科教員。『学び合い』と授業とクラスと。

鏡を見る

「あの服、可愛い」「あんなカッコいい服が着たい」といって服を選んでいるうちは、お洒落にはなりにくいと思います。まして「あのブランドの服がほしい」という人は、かえって残念な結果になることが多いのではないでしょうか。
服と、それを着る人とは、切り離して見ることができません。

「あんな服」や「こんな服」に目を向けるより先に、まず鏡を見ることが大切です。どんなにいい服でも、自分に似合わなければ仕方ありません。

教員の力量形成も、同じだと思います。『学び合い』も含めて、その実践を見ていると、大した結果にはならないのではないでしょうか。
まずは、鏡を見ることです。たいていの場合、そこには見たくないものが映っています。
着ている人と服が切り離せないように、実践と実践者は切り離せません。「実践者が実践を機能させなくしている」ということは、珍しくない話です。

ただ、似合う服を着ていると、どんな人でもそれなりに見えるものです。「それなりに見える」ということが足掛かりになって、お洒落の幅が広がっていったり、質が高まっていくことは、よくあります。
まずは、鏡を見ることです。

こんな、天に唾するようなことを書いていいのでしょうか。迷いながら更新します。