越後屋の『学び合い』帳

東京の高校国語科教員。『学び合い』と授業とクラスと。

「知識・理解」と「AL」

次期学習指導要領では「何を学ぶか」だけでなく、「いかに学ぶか」についても言及されています。
おなじみ「主体的、対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)です。

ALと聞くと、なんとかシンキングを取り入れるとか、なんとか法で発表するとか、目に見えて「アクティブ」な活動が(文字通り)注目されがちです。
そして、次第に、なんとかシンキングやなんとか法が目標(=何を学ぶか)にすり替わってしまう場合があります。

いま一度、「何を」と「どのように」をしっかり区別する必要があります。この二つを車の両輪として捉えることが大切です。

評価という観点で考えてみます。

生徒に求める理解の段階によって、評価は変わってきます。「事実的知識」「個別的スキル」は当然「答えが一つ」になりますし、ペーパーテストによる評価が適しています。

その上位には「永続的理解」の段階があります。教科書を暗記して再生したところで「理解した」とは見なされない段階です。これを評価するには、本当にそれがわかっていないと答えられない状況を設定し、説明、発表、ポスター製作、演示等を求めるパフォーマンス評価が適しています。(西岡加名恵他『新しい教員評価入門』有斐閣コンパクト)

『学び合い』の主張の一つに「認知スタイルは多様」という点があります。同じ答えを出すにしてもアプローチは多様だから、手段は任せた方がよいということです。

つまり、上記の「事実的知識」「個別的スキル」を問うような目標でも、一人も見捨てないことを目指してそれぞれに学び合うことの価値はあるということです。

まずは、それを授業の中心にしてはどうでしょうか。生徒も教員も安心するような気がします。そのためには、求めることが「事実的知識」「個別的スキル」なのか「永続的理解」なのかを教員側が理解し、区別することです。

※授業で永続的理解を求めるな、という意味ではありません。区別するとよいと思います。